チャウシェスク処刑の真相と狂気|1989年ルーマニア革命の結末

今注目を集めている チャウシェスク処刑の真相と狂気|1989年ルーマニア革命の結末について、詳しいまとめをご紹介しています。

なぜ民衆は、かつて西側諸国からも一定の支持を得ていた指導者に対して、これほどまでに容赦のない処罰を求めたのでしょうか。その背景には、1970年代から1980年代にかけて強行された狂気の独裁政策がありました。

第一の狂気が、首都ブカレストを破壊して建設した超巨大宮殿国民の館(現・議会宮殿)です。ペンタゴン(米国国防総省)に次ぐ世界第2位の床面積(約36万5,000平方メートル)を誇るこの建造物のために、歴史ある旧市街地や教会、数万世帯の住居が無差別にブルドーザーで更地にされました。国家予算の莫大な割合がつぎ込まれ、国民が暖房も灯りもない極寒の冬を耐え忍ぶ傍らで、大理石と純金で飾られた豪奢な宮殿が築かれていったのです。

第二の狂気が、国民を最も直接的に苦しめた強制的な人口政策(政令770号)です。チャウシェスクは「労働力こそ国力」という偏執的な信念から、1966年に避妊と人工妊娠中絶を原則として完全違法化しました。45歳未満で4人(後に5人)以上の子どもを持たない女性には重い独身税・無子税が課され、工場や職場には産婦人科医が派遣されて強制的な月経検査(通称「メンス警察」)が行われました。

この反人道的な政策の結果、闇で行われた不衛生な中絶手術によって1万人以上の女性が命を落としたと推計されています。避妊の手段を奪われ、貧困のなかで生まれた子どもたちは、養育できない親によって次々と手放されていきました。

清水 千尋

清水 千尋

フード&トラベルライター

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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