大河原邦男の現在と伝説の軌跡|メカデザインの巨匠が遺す革新
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今日ではアニメ制作に不可欠となった「メカニックデザイナー」というクレジットですが、1970年代初頭まではそのような専任職は存在していませんでした。背景美術や演出スタッフが兼任するのが通例だった時代に、大河原氏がその道を切り拓くことになります。
東京造形大学でテキスタイルデザインを学んだ大河原氏は、大手アパレル企業(オンワード樫山)でスーツの企画などを手掛けた後、1972年にタツノコプロ美術部へ入社しました。そこで美術監督の中村光毅氏に見出され、『科学忍者隊ガッチャマン』のメカデザインを担当したことが大きな転換点となります。アパレル仕込みの立体把握能力とスマートなフォルム感覚は、即座に社内外で高い評価を獲得しました。
その後、タツノコプロから独立した大河原氏は、中村氏と共に「デザインオフィス・メカマン」を設立し、さらにフリーランスへ移行。この時期に深く関わったのが、後のサンライズ(当時:日本サンライズ)でした。『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』を経て、1979年の『機動戦士ガンダム』へと至る系譜の中で、ロボットアニメのビジネスモデルとメカデザインの密接な関係を確立していったのです。