トルコは中東かヨーロッパか?知られざる境界線と公式区分の真相
トルコは中東かヨーロッパか?知られざる境界線と公式区分の真相の疑問点について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。
現地を訪れた旅行者や駐在員、そしてイスタンブールで暮らす地元市民の生の証言に耳を傾けると、外的な地域区分とはまた違ったトルコの素顔が見えてきます。
ボスポラス海峡を横断するフェリーの上で、毎日のようにアジア側(カドゥキョイ)とヨーロッパ側(エミノニュ)を通勤する30代の地元ITエンジニア男性は、自らの立ち位置についてこう語ります。
「朝はアジアの自宅で目覚め、船で20分揺られてヨーロッパのオフィスへ出勤する。僕たちにとって『アジアかヨーロッパか』という議論は学者の机上の空論に過ぎない。強いて言えば、自分たちはそのどちらでもなく『イスタンブール市民』であり『トルコ人』だという意識が最も強い」
SNSやネット掲示板上でも、旅行者によるカルチャーショックの声が頻繁に見受けられます。 「中東諸国と聞いてサウジアラビアのような風景を想像していたら、イスタンブールの繁華街では女性がミニスカートを着て歩き、テラス席でビールやラク(地酒)を堂々と飲んでいて驚いた」 「地方のアナトリア内陸部に行くと一転して保守的なスカーフ姿の女性が増え、一日に何度もアザーンが鳴り響く。トルコを一枚岩の国として語ることは不可能だと実感した」
こうした多面性を支えているのが、トルコの宗教とイスラム教世俗主義(ライシテ)の独特な関係性です。1923年の共和国建国時、アタテュルクはカリフ制を廃止し、憲法からイスラム教を国教とする条項を削除しました。文字をアラビア文字からラテン文字へと改め、西欧式の民法・刑法を導入したことで、トルコはイスラム圏において極めて稀な「国家と宗教が分離された世俗主義国家」としての道を歩み出しました。
エルドアン政権下において宗教的価値観を重視する保守層への配慮が進み、公の場でのヒジャブ(スカーフ)着用制限が撤廃されるなど「再イスラム化」が報じられることも増えましたが、社会の基盤に根づいた世俗的法体系や都市型ライフスタイルが消え去ったわけではありません。世俗主義的な近代市民社会と、深いイスラムの精神的伝統がせめぎ合いながら共存している姿こそが、現地の人々が体感している生々しい現実です。