サウンド・オブ・サイレンス歌詞の真実|ケネディ暗殺説と和訳の深層
サウンド・オブ・サイレンス歌詞の真実|ケネディ暗殺説と和訳の深層の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。
『サウンド・オブ・サイレンス』の原点は、巨大なスタジオではなく、ニューヨーク・クイーンズにある質素なアパートの浴室でした。作詞作曲を手掛けたポール・サイモンは当時21歳。彼はタイルの反響音を好んで浴室にこもり、蛇口から滴る水の音を聞きながら、照明を消した完全な暗闇の中でギターをつま弾いていました。「暗闇の中で音を探す作業が、何よりも心を落ち着かせてくれた」と、彼は後に当時のインタビューで回想しています。冒頭の象徴的なフレーズ「Hello darkness, my old friend」は、比喩ではなく文字通り彼が暗闇に向かって親しみを込めて語りかけた実体験から誕生したものでした。
相棒であるアート・ガーファンクルの天使のようなハイテナーと精緻なボーカルブレンドを重ね、2人は1964年10月にコロムビア・レコードからデビューアルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M.)』をリリースします。しかし、純粋なアコースティック・フォークとして収録されたオリジナル版は、わずか2,000枚程度しか売れず、商業的には完全な大惨敗を喫しました。失意のポール・サイモンは単身ロンドンへ渡り、デュオは事実上の解散状態に追い込まれます。
ドラマが動いたのは1965年半ばのことでした。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を成功させた敏腕プロデューサー、トム・ウィルソンがこの埋もれた名曲に着目します。彼はポールやアートに一切の許可を取ることなく、ディランのセッションギタリストたちを招集。アコースティックトラックの上から、エレクトリックギター、ベース、ドラムスをダビング(多重録音)し、当時台頭していたフォークロックのスタイルへと勝手に仕立て直してシングルカットしたのです。
ロンドンのフォーククラブで活動していたポールは、音楽誌『キャッシュボックス』のチャートをめくっていて驚愕します。自分たちの曲が無断で改変され、チャートを駆け上がっている事実を知ったからです。1966年1月、同曲は見事に全米ビルボードチャート1位を獲得。急遽アメリカに呼び戻された2人は再結成を果たし、同名アルバム『Sounds of Silence』を録音、世界的なトップスターへの階段を一気に駆け上がることになりました。