沖縄戦・八原博通はなぜ生き残ったのか?持久作戦の真相と戦後の評価
沖縄戦・八原博通はなぜ生き残ったのか?持久作戦の真相と戦後の評価の真相について、最新情報を取りまとめてご紹介します。
沖縄戦終結後、八原博通に下された評価は、日米の間で残酷なほどに対称的なものでした。
米軍側は八原の尋問を通じてその明晰な論理性に舌を巻きました。米軍の情報将校は八原の軍事知識と分析力を「卓越したプロフェッショナル」と認定。米公刊戦史においても「ヤハラ大佐こそが、アメリカ軍に太平洋戦線最大の苦痛と損害を与えた知性」と手放しの賞賛を送りました。米軍将校の間では、感情を排して地形と火力を数学的に計算したその防衛戦術から「東洋のロンメル」と評されるほどでした。
一方で、戦後の日本社会が八原に向けた視線は極めて冷淡でした。旧軍関係者や一部の遺族の間では、「司令官や参謀長を割腹させ、兵士たちに徹底抗戦を強いておきながら、なぜ高級参謀である自分だけが平服を着て生き残ったのか」という強い非難の声が上がったのです。当時の日本社会には、「敗戦の責任は司令部が自決によって清算すべきである」という精神主義的な死生観が根強く残っていました。
八原自身は戦後、故郷の鳥取県米子市へ戻り、公の場に姿を現すことなく沈黙を守り続けました。しかし1972年、沖縄返還の年に上梓された自著『沖縄決戦 高級参謀の手記』によって、自らを美化することなく冷徹に事実を書き残しました。自己弁護を徹底して排し、軍上層部の愚策や自らの作戦の限界までを客観的に記録したこの手記は、刊行から数十年を経た現在でも沖縄戦研究における最高峰の一次史料として揺るぎない地位を築いています。