護送船団方式とは何だったのか?高度成長の功罪と崩壊の深層を解剖する
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「護送船団方式」という言葉の語源は、第二次世界大戦時の海事軍事戦術に遡ります。敵の潜水艦や航空機からの攻撃を防ぐため、軍艦(駆逐艦など)が多数の輸送船や商船を取り囲んで警護しながら航行する隊形を「護送船団(コンボイ)」と呼びました。この航行における鉄則は、「船団全体の巡航速度を、最も速度の遅い船(足の遅い船)に合わせる」という点にあります。仮に突出して速く航行する船があれば船団から孤立して撃沈されるリスクが高まり、逆に遅れる船を放置すれば敵の格好の標的となるためです。
この軍事戦術のアナロジーを戦後の金融行政に持ち込んだのが、かつて日本経済の司令塔として絶大な権力を誇った大蔵省(現・財務省および金融庁)でした。大蔵省という「強力な護衛艦」が、都市銀行、長期信用銀行、信託銀行、地方銀行、相互銀行(後の第二地方銀行)、信用金庫に至る大小の金融機関(輸送船)を厳重に取り囲み、「脱落者(倒産・破綻)を絶対に1行たりとも出さない」という方針のもとで統制を敷きました。
この仕組みを護送船団方式 わかりやすく整理すると、足の遅い中小金融機関でも十分に利益を確保できるよう、預金金利の上限を一律に低く規制し、店舗の新設や新商品の投入には厳格な許認可権を行使して、金融機関同士の自由競争を事実上封じ込めた政策体系を指します。いわば、強者が弱者を淘汰する市場の弱肉強食を排し、官僚機構による手厚い庇護のもとで業界全体の平穏無事と信用秩序の維持を最優先させた統制経済モデルでした。