なぜ新大久保にギリシャ風?小泉八雲記念公園の歴史と見どころを徹底解説

なぜ新大久保にギリシャ風?小泉八雲記念公園の歴史と見どころを徹底解説に関する気になる情報を初心者にも親しみやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。

ネット上の口コミや散策ブログを見ていると、極めて頻繁に見受けられる致命的な勘違いがあります。それは「この小泉八雲記念公園が、八雲の住んでいた屋敷の跡地である」という思い込みです。

厳密な史実として、公園がある場所は旧居そのものではありません。八雲が晩年を過ごし、1904年(明治37年)9月26日に狭心症の発作で54歳の若さで世を去った真の「小泉八雲旧居跡(終焉の地)」は、公園から西へ約150メートル、徒歩2分ほど離れた新宿区立大久保小学校の敷地南側に位置しています。

当時、八雲が暮らした屋敷は、もともと旗本屋敷の面影を残す広大な日本家屋でした。敷地内には雑木林のような広大な庭があり、八雲はそこでセミやスズムシ、キリギリスの鳴き声に耳を澄ませることを何よりの癒やしとしていました。妻・セツの手記『思ひ出の記』には、大久保での暮らしと彼の最期の瞬間について次のような胸を打つ証言が残されています。

「大久保の家へ移りましてからは、庭が広うございましたので、先生は虫の音を何よりも楽しまれました。『この庭には自然の気配が満ちている』と申して、毎朝庭を一巡りするのが日課でございました。亡くなる日の朝も、庭に出て杉の木を見上げ、『ああ、よい木だ』と呟かれたのが、庭への最後のお別れとなりました」(セツの手記より要約抜粋)

現在、旧居跡地には新宿区教育委員会による解説板と記念碑がひっそりと建てられています。八雲が愛した広大な屋敷と庭園の記憶に触れるためには、記念公園のモニュメントを見学した後、必ずこの旧居跡の石碑まで足を伸ばすことが不可欠です。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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