遠き山に日は落ちての歌詞の意味とは?家路との違いと夕方チャイムの真相

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『遠き山に日は落ちて』の歌詞は、夕暮れから夜の帳(とばり)が下りるまでの自然の移ろいと、一日を懸命に生き抜いた人々への穏やかな労いを描いています。

「遠き山に日は落ちて 星は空をちりばめぬ 今日のわざをなし終えて 心安くやすらへば…」

作詞者の堀内敬三は、直訳にとらわれることなく、日本の風土や情緒に合わせた情景描写を施しました。歌詞後半にある「神の御恵み(みめぐみ)」というフレーズには、キリスト教的な感謝の祈りとともに、日々の労働の無事完了を自然や大いなる存在に感謝し、明日への英気を養うという普遍的な安らぎのメッセージが込められています。

対照的に、フィッシャーが作詞した英語詞『Goin' Home』は、黒人霊歌の伝統を受け継ぎ、「Home=天国(来世の安らぎの場)」を象徴するスピリチュアルな死生観が色濃く反映されています。歌詞中の「Going home, I'm just going home / Quiet-like, some still day / I'm just going home」は、地上の苦しみや旅路を終えて天上の故郷へ帰るという宗教的救済を歌ったものです。

堀内敬三による日本語詞は、この宗教的・霊的な重厚感を保ちつつも、日暮れとともに家族が待つ我が家へ帰り団らんを迎えるという「日常のあたたかさ」へと見事にローカライズされており、日本人の心にすんなりと染み入る名詩として昇華されました。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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