美浦と栗東の格差はなぜ消えた?「西高東低」崩壊の真相と2026年最新勢力図

美浦と栗東の格差はなぜ消えた?「西高東低」崩壊の真相と2026年最新勢力図についての疑問解決ガイドを徹底解説します。

競馬初心者からベテランまで日常的に耳にする「美浦(みほ)」と「栗東(りっとう)」。これらは日本中央競馬会(JRA)が運営する競走馬の調教拠点(トレーニングセンター)の所在地を指します。JRA調教師所属や騎手の免許体系、そして出走馬の拠点として東西に1箇所ずつ配置されており、美浦は茨城県稲敷郡美浦村、栗東は滋賀県栗東市に位置しています。

かつて競走馬は東京競馬場や中山競馬場、京都競馬場などの各競馬場に併設された厩舎で生活していましたが、周辺の都市化や騒音問題、防疫管理の観点から拠点の集約が決定。まず1969年に関西の栗東トレセンが、続いて1978年に関東の美浦トレセンが開所しました。この約9年の開所時期の差以上に、その後の競馬勢力図を決定づけたのが1985年の栗東坂路(はんろ)コース開設でした。

1980年代後半から顕著になった「西高東低」の主たる要因は、まさにこの坂路調教の有無にありました。平坦なコースでスピードを出す従来の調教手法に対し、傾斜を駆け上がる坂路調教は、馬の関節や腱に過度な負担をかけることなく、後肢の推進力(トモの筋肉)と心肺機能を飛躍的に鍛え上げることが可能となったのです。

報道各社の取材データや当時の関係者証言によると、坂路を持たなかった美浦は1990年代初頭まで平坦コース中心の調教を余儀なくされ、タフネスと瞬発力を兼ね備えた関西馬にクラシック戦線や古馬王道G1をことごとく奪われる事態が定着しました。美浦にも1993年に坂路が新設されたものの、既存敷地の制約から勾配・高低差ともに栗東に見劣りし、一度開いた「調教格差」を埋めるには至りませんでした。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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