阿部寛の父親はどんな人物?理系進学を支えた職人気質と感動秘話
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阿部寛さんのキャリアは、順風満帆とは程遠いものでした。カリスマモデルとして一世を風靡したものの、20代後半でモデルブームが去ると仕事は激減。「背が高すぎて女優と並べない」「モデル上がりの大根役者」と業界から酷評され、約3年間にわたってパチンコで食いつなぐほどの不遇時代を経験しています。さらにバブル期の投資用マンション購入による数億円規模の借金苦が重なり、精神的に完全に追い詰められていました。
当時の様子について、阿部寛さんは後のインタビューで生々しく告白しています。
「仕事が全くなくなり、将来の不安から実家に逃げ帰るような日がありました。惨めで情けなくて、親の顔を見るのも怖かった。でも、親父は僕に対して『仕事はどうなんだ』とも『これからどうするんだ』とも一言も聞きませんでした。ただ黙って、母親と一緒に温かいご飯を出してくれた。あの無言の空気に、どれほど救われたかわかりません」
昭和の父親にありがちな叱責や説教を一切せず、「失敗した息子を黙って受け止める」という絶対的な信頼。父親自身が現場で数々のトラブルを乗り越えてきたエンジニアだったからこそ、物事がうまくいかない時期の苦しさを肌身で理解していたのかもしれません。この父親の器の大きさが、阿部寛さんに「もう一度泥臭く這い上がろう」と決意させる原動力となりました。
その後、映画『つぐみ』での好演や、舞台演出家・蜷川幸雄さんからの徹底的なしごき、そしてドラマ『TRICK』『結婚できない男』での大ブレイクへと繋がっていきます。阿部寛さんが後に借金を全額完済し、国民的俳優へと上り詰めた根底には、あの暗黒期に父親が注いでくれた無償の受容がありました。