張本勲の国籍はなぜ韓国のまま?日本へ帰化しない衝撃の理由と真相
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張本勲のプロ野球キャリアは、1959年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)へ入団したことから加速する。浪華商業高校時代からその打撃センスは群を抜いていたが、一歩間違えれば暴力沙汰に巻き込まれかねない荒々しさも持ち合わせていた。そんな暴れん坊を野球の道へと繋ぎ止めたのは、己の腕一本で成り上がるという強烈なハングリー精神だった。
東映入団後、プロ初打席で初安打を放つと、すぐさまレギュラーに定着。広角に鋭いライナーを打ち分けるスプレーヒッティングは「安打製造機」と称され、パ・リーグの投手陣を恐怖に陥れた。広範なスカウティング網を持つ日本野球機構の歴史においても、彼ほどの勝負強さと広角打法を兼ね備えた左打者は極めて稀である。
首位打者獲得7回、最高出塁率9回という脅威的なアベレージを残し続けた背景には、毎夜の血のにじむような素振りがあった。右手障害のハンデを補うため、左腕の筋力を徹底的に鍛え上げたフォームは、過酷な鍛錬の賜物である。