亡くなった笑点メンバー死亡一覧|歌丸・円楽ら歴代の死因と最期
亡くなった笑点メンバー死亡一覧|歌丸・円楽ら歴代の死因と最期を詳しくリサーチ! 読者が気になる 情報と解説を凝縮して配信します。
笑点の歴史を語る上で欠かせないのが、視聴者の胸を打った名匠たちの凄絶な最期と生き様です。テレビ画面では常に笑顔とユーモアを振りまきながら、楽屋の裏では命を削る闘病が繰り広げられていました。
桂歌丸の死因と最期:酸素吸入器を装着してまで挑んだ高座への執念
2018年7月2日、81歳で息を引き取った桂歌丸師匠。死因は慢性閉塞性肺疾患(COPD)でした。長年の愛煙家であった歌丸は、晩年は呼吸困難に苦しみ、体重は一時30kg台前半まで激減しました。
2016年5月に笑点の司会を勇退した後も落語への情熱は衰えず、鼻に酸素吸入用のカニューレ(チューブ)を装着した姿で落語芸術協会の定席興行に出演。自著や生前のインタビューで「高座で死ねたら本望」と語っていた通り、亡くなるわずか数か月前まで車椅子で楽屋入りし、命の灯火を燃やして古典落語を口演し続けました。お茶の間に親しまれた「ハゲ」「ガイコツ」といった罵倒ネタさえも芸に昇華させた、不世出の名人でした。
六代目三遊亭円楽の闘病経緯:盟友・歌丸の影を追い続けた壮絶な5年間
歌丸との絶妙な掛け合いで笑点黄金期を支えた六代目三遊亭円楽師匠(旧名:三遊亭楽太郎)は、2022年9月30日、肺がんのため72歳で急逝しました。円楽の晩年は、まさに病魔との総力戦でした。
2018年に初期の肺がんが見つかって以降、2019年に脳腫瘍、その後も大腸がんの寛解、2022年1月には脳梗塞で緊急搬送され、左半身に麻痺が残る過酷なリハビリを強いられました。それでも同年8月、国立劇場での高座に車椅子で登壇し、涙を流しながら復帰を果たしました。しかしそのわずか1か月後、容体が急変。盟友・歌丸が旅立ってから4年後、追うように旅立った円楽の早すぎる死は、列島に深い哀惜の念を呼び起こしました。
林家こん平の病気と死因:難病・多発性硬化症と闘い抜いた「チャラ〜ン」の魂
「1・2・3、チャラ〜ン!」の掛け声で親しまれた林家こん平師匠は、2020年12月17日に77歳で誤嚥性肺炎のため亡くなりました。こん平を襲ったのは、国指定の難病である「多発性硬化症」でした。
2004年に体調不良を訴えて番組を休演し、弟子である林家たい平に座布団を託したこん平。手足の麻痺や言語障害が進行する中、過酷なリハビリを16年以上にわたって続けました。公の場に車椅子で姿を現し、かすれる声で「チャラ〜ン」を披露する姿は、多くの難病患者に勇気を与えました。たい平が今なお大喜利でオレンジ色の着物を身にまとい、師匠のギャグを受け継ぎ続けている姿は、笑点における師弟愛の象徴となっています。
五代目三遊亭圓楽の急逝と三遊亭小圓遊の衝撃的な早逝
23年間にわたり司会を務め「星の王子さま」として愛された五代目三遊亭圓楽師匠は、2007年の現役引退後、脳梗塞や胃がんの療養を経て2009年10月29日に肺がんのため77歳でこの世を去りました。円楽一門会を立ち上げ、私財を投じて寄席「若竹」を開設するなど、落語界の発展に生涯を捧げた豪快なリーダーでした。
一方、番組史上最もショッキングな急逝劇として語り継がれているのが、四代目三遊亭小圓遊師匠の最期です。1980年10月、山形県尾花沢市での地方公演の開演直前、楽屋で突然倒れて吐血。食道静脈瘤破裂により、43歳という若さで帰らぬ人となりました。美男子キャラで歌丸と熾烈な毒舌合戦を繰り広げていた最中の悲劇であり、相方を失った歌丸の深い落ち込みは当時の関係者の間で今も語り草となっています。