新島襄の波乱に満ちた生涯と功績|密出国・八重との絆から同志社創設まで

新島襄の波乱に満ちた生涯と功績|密出国・八重との絆から同志社創設までの全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。

新島襄の私生活を語るうえで欠かせないのが、1876年(明治9年)に結婚した妻・新島八重(旧姓・山本)とのパートナーシップです。2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』(綾瀬はるか主演)でも克明に描かれた二人の関係は、男尊女卑が当たり前だった当時の日本において、極めて異例かつ前衛的なものでした。

会津戦争でスペンサー銃を手に奮戦した「幕末のジャンヌ・ダルク」こと八重は、確固たる自己の意見を持ち、堂々と行動する女性でした。京都の保守的な町衆や同志社の保守的な関係者からは「夫を尻に敷く悪妻」「鵺(ぬえ)のような女」と激しいバッシングを受けました。人力車に夫より先に乗る、洋装で街を歩く、夫と対等に議論を交わす八重の振る舞いは、当時の常識からは大きく逸脱していたためです。

しかし、新島襄自身は八重の個性を誰よりも深く愛し、尊重していました。新島がアメリカの恩師ハーディ夫妻に宛てた書簡には、八重について次のような率直な心情が綴られています。

「彼女の生き方は決して世間一般的な意味での『ハンサム(見目麗しい)』ではありません。しかし、彼女は勇気と誠実さを持ち、自らの信念に基づいて行動する人物です。私にはこの上なくふさわしい伴侶です」

新島はキリスト教の教えに基づき、女性を男性の従属物ではなく「独立した人格を持つ対等なパートナー」として接しました。この夫婦の姿は、明治という黎明期における日本最初の「レディーファースト」の実践例といえます。

なお、新島襄と八重の間に実子は生まれませんでした。家系図や後継の系譜としては、新島家の血脈を直接継ぐ直系子孫は存在せず、襄の死後は八重が日赤の篤志看護婦として社会奉仕に生き、同志社大学そのものが彼らの遺志を継ぐ「精神的な子供」として受け継がれていくことになります。

中川 明日香

中川 明日香

ビジネス戦略アナリスト

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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