沢田研二『君をのせて』誕生秘話と55年目の真実!ソロ原点の光と影
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沢田研二がソロシンガーとして第一歩を踏み出した背景には、1970年代初頭の日本音楽界が経験した巨大な地殻変動と、若き表現者が直面した苛烈なアイデンティティの危機がありました。1971年1月24日、熱狂の頂点を極めたザ・タイガースは日本武道館の解散コンサートをもってその活動に幕を下ろします。失神者が続出するほどの社会現象を牽引した看板ボーカリスト「ジュリー」の肩には、あまりにも重い時代の視線が注がれていました。
タイガース解散直後、沢田が選んだ道は安易な単独アイドル路線ではありませんでした。萩原健一(ザ・テンプターズ)、大野克夫、井上堯之(ザ・スパイダース)ら、GS各バンドの精鋭たちと合流し、新たなニューロックの旗手を標榜して結成したスーパーグループが「PYG」です。しかし、この果敢な挑戦は過酷な現実に直面することになります。
当時のロックシーンにおいて、GS出身者は「商業主義の権化」「作られたアイドル」とみなされる偏見が根強く残っていました。当時の音楽雑誌の記録や関係者の証言によると、PYGが出演した日比谷野外音楽堂などのロックフェスでは、客席から激しいブーイングとともにトマトや空き缶が容赦なくステージへ投げ込まれる事態が頻発しました。「俺たちは本物の音を鳴らしているのに、なぜ届かないのか」――自著や当時の手記でも吐露されているように、沢田研二は自らの存在意義を根本から揺さぶられる激しい葛藤の渦中にありました。
ロックと歌謡曲の狭間でアイデンティティが激しく引き裂かれるなか、盟友でありプロデューサーとして名乗りを上げたのがザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦でした。加瀬は沢田が持つ唯一無二の華やかさと、憂いを帯びたリリカルな歌唱力を見抜き、「グループの看板を脱ぎ捨て、ひとりのシンガー・沢田研二としての純粋な歌を世に問うべきだ」とソロプロジェクトを立ち上げます。こうして1971年秋、激震の最中にあったジュリーの航海が静かに始まったのです。