資治通鑑の作者・司馬光とは?19年費やした執筆理由と史記との違い

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司馬光が『資治通鑑』の編纂を開始したのは1065年(治平2年)、北宋の第5代皇帝・英宗の時代でした。しかし、本格的な執筆活動に突入したのは、第6代皇帝・神宗の治世下で起きた劇的な政治変動がきっかけです。

当時、北宋は財政赤字と軍事力の低下という深刻な構造問題に直面していました。神宗は現状打破のため、気鋭の政治家・王安石(おうあんせき)を登用し、国家主導の経済改革「新法(しんぽう)」を断行します。これに対し、伝統的な秩序と民力の休養を説く司馬光は激しく反発。二人の対立は朝廷を二分する一大論争へと発展しました。

政争に敗れた司馬光は中央政界を去り、副都である洛陽に身を引きます。司馬光はこの洛陽での閑職時代(約15年間)をすべて歴史編纂に注ぎ込みました。政治の一線から退いたからこそ、腰を据えて国家の根本を見つめ直す時間が生まれたのです。

書名の『資治通鑑』とは、「政治(治)を資(たす)ける通史の鑑(かがみ)」を意味します。神宗皇帝から直々に下賜されたこのタイトル通り、編纂の目的は歴代王朝の興亡の原因を丹念に解き明かし、君主が国家運営を誤らないための「生きた教訓集」を提供することにありました。司馬光は劉恕(りゅうじょ)、劉攽(りゅうひん)、范祖禹(はんそうう)という当代最高峰の歴史学者を助手として集め、膨大な史料を突き合わせる厳密な考証作業を19年間にわたって継続したのです。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

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