毛利衛の現在と知られざる功績!未来館退任後の活動や名言の真相
毛利衛の現在と知られざる功績!未来館退任後の活動や名言の真相の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。
毛利さんのプロフィールを語る際、その卓越した学問的キャリアは見過ごせません。北海道余市水産高等学校から北海道小樽潮陵高等学校を経て、北海道大学理学部化学科を卒業。同大学院理学研究科修士課程を修了後、オーストラリアのフリンダース大学大学院へ留学し、化学物理学の博士号(Ph.D.)を取得しています。
北海道大学工学部の助教授として表面科学や核融合炉壁材料の研究に従事していた1985年、宇宙開発事業団(NASDA)の第1回宇宙飛行士公募に見事合格。向井千秋さん、土井隆雄さんとともに最初の宇宙飛行士候補者として選抜されました。
しかし、エリートコースを歩んでいた毛利さんに最大の試練が訪れます。1986年1月に起きたスペースシャトル「チャレンジャー号爆発事故」です。当初1988年頃に予定されていた日本の宇宙実験ミッションは無期限延期となり、事故原因究明と安全対策のため、実に6年もの歳月を待機と訓練の日々に費やすことになりました。
当時の特番インタビューや手記で語られた「仲間が目の前で命を落とし、いつ再開するかも分からない暗闇の中で訓練を続ける心理的重圧」は想像を絶するものでした。研究者としてのポストを離れ、命の危険と隣り合わせの訓練に身を置き続けたその不屈の意志こそが、日本人宇宙飛行士の国際的信頼を確立した最大の礎となっています。