大犯三箇条とは?鎌倉幕府が守護に与えた権限の真相と覚え方を徹底解説
大犯三箇条とは?鎌倉幕府が守護に与えた権限の真相と覚え方を徹底解説について知っておくべき ポイントを分かりやすく解説いたします。
強大な武力を誇った鎌倉幕府ですが、なぜ守護の職権をあえて大犯三箇条だけに縛ったのでしょうか。そこには源頼朝の政策における緻密な政治的駆け引きが隠されています。
当時、日本全国の土地の多くは京都の貴族や大寺社が所有する荘園でした。もし頼朝が任命した武士(守護)が各国の行政や裁判、年貢の徴収にまで無制限に口を出せば、既得権益を侵害された朝廷勢力との間に全面戦争が勃発しかねません。そこで頼朝は、朝廷側に対して「守護の役目はあくまで国家を脅かす凶悪犯罪の取り締まりと皇居警護の取り次ぎに限定する」とアピールし、摩擦を最小限に抑え込もうとしました。
この方針は、1232年に第3代執権・北条泰時が制定した武家最初の成文法『御成敗式目』(貞永式目)の第3条にもはっきりと明文化されています。式目の中では、守護が勝手に民政に介入したり、荘園の年貢を横領したりすることを「越権行為」として厳罰に処す旨が記されており、幕府首脳部が守護の暴走をいかに警戒していたかがうかがえます。