幻の海軍原爆開発「F研究」の真相|京都帝大・荒勝研究室が遺した記録
幻の海軍原爆開発「F研究」の真相|京都帝大・荒勝研究室が遺した記録の要点を詳しく解説してご紹介します。
F研究において長年タブー視されてきた論点の一つが、日本人初のノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の関与です。戦後の平和運動の象徴となった湯川博士ですが、京都帝国大学の同僚としてF研究の理論的検討会に出席していた事実が、京都大学に残された史料や本人の戦時日記から確認されています。
防衛研究所史料や京大保管の「荒勝文策関係資料」によると、昭和20年(1945年)6月、琵琶湖畔のホテルで開催された海軍と研究陣の極秘会議に湯川博士も名を連ねていました。そこでの議論は「ウラン核分裂による連鎖反応の成立要件」や「臨界量の理論値計算」など多岐にわたりました。湯川博士自身は技術的な兵器設計に直接手を染めることはなかったものの、基礎物理の第一人者として知見を求められていたのは歴史的事実です。
しかし、理論計算がいかに精緻であっても、実用化の前に立ちはだかったのが「ウラン資源の絶対的不足」でした。原爆1発を製造するために必要なウラン鉱石は数十トンから数百トン規模とされますが、当時の日本が確保できた精製ウランはわずか数キログラム程度。ナチス・ドイツからの潜水艦(UボートU-234)によるウラン酸化物輸送作戦も大西洋上で拿捕され、物量面で完全に破綻していました。