碁盤の目とは?京都と札幌が格子状になった歴史の謎と現代の落とし穴
碁盤の目とは?京都と札幌が格子状になった歴史の謎と現代の落とし穴について知っておくべき 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。
日本国内で京都と並び「碁盤の目の街」として代表格に挙げられるのが北海道札幌市です。しかし、札幌の格子状構造は京都の歴史的踏襲ではなく、明治維新期における極めて合理的かつ近代的な発想から誕生しました。
明治2年(1869年)、開拓使の判官・島義勇(しまよしたけ)が円山から原野を見下ろして構想を練り、後任の岩村通俊らが着工した札幌の都市計画は、当時のアメリカ西海岸の近代グリッド都市を意識したものでした。東西に広がる幅105mの「大通(現在の大通公園)」を境界線として南北を分け、創成川を軸に東西を分ける「条丁目制(じょうちょうめいせい)」を確立。「南3条西4丁目」のように、住所そのものが平面直交座標系となっているため、初めて訪れた人でも迷わずに目的地へ辿り着ける構造になっています。
日本全国に広がる「碁盤の目の街」一覧
京都や札幌以外にも、日本国内には歴史的経緯や開拓の過程で生まれた美しい格子状都市が数多く存在します。
- 北海道・旭川市 / 帯広市:明治期の殖民区画計画に基づき、極めて広大な格子状道路網が整備された計画都市。
- 愛知県・名古屋市(中区錦・丸の内周辺):徳川家康による「清洲越し」(1610年)によって整備された、通称「碁盤割(ごばんわり)」と呼ばれる城下町区画。
- 宮城県・仙台市:伊達政宗が設計した城下町。侍屋敷と町人町が直角交差の道路網に沿って計画的に配置された。
- 大阪府・堺市:中世の環濠都市時代から商人の自治によって整然とした街区が形成され、明治以降も近代的な区画へと昇華。
- 宮崎県・日南市(飫肥 / おび):伊東氏5万1千石の城下町。「九州の小京都」と呼ばれ、武家屋敷が格子状の小路に整然と並ぶ。