三笠宮妃百合子さま激動の101年と逝去の真相|皇室を支えた慈愛の軌跡
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百合子さまの歩まれた道程を理解する上で欠かせないのが、旧華族の名門・高木家から宮家へと連なる華麗な家系図と、その裏に秘められた母としての壮絶な葛藤です。百合子さまは1923年(大正12年)、旧高鍋藩主の家系である子爵・高木正得氏の次女として誕生されました。母の邦子さんは入江為守子爵の娘であり、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政氏の姪にあたります。日本の伝統文化と高い教養を身につけた名門の令嬢として育ちました。
1941年(昭和16年)10月、日米開戦のわずか2カ月前という極度の緊張状態のなか、昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁親王と18歳でご成婚。その後、夫妻の間には3男2女(長女・近衞甯子さん、長男・寬仁親王、次男・宜仁親王=桂宮、次女・千容子さん、三男・憲仁親王=高円宮)が誕生しました。
子宝に恵まれた温かな三笠宮家でしたが、百合子さまを待ち受けていたのは「相次ぐ愛息との死別」という過酷な運命でした。
- 2002年(平成14年):スポーツ振興などで親しまれた三男・高円宮憲仁親王が、スカッシュの練習中に心不全のため47歳の若さで急逝。
- 2012年(平成24年):「ヒゲの殿下」として国民的知名度を誇った長男・寬仁親王が、闘病の末に66歳で薨去。
- 2014年(平成26年):長年病魔と闘いながら公務を継続されていた次男・桂宮宜仁親王が66歳で薨去。
自らが産み育てた親王3人全員に先立たれるという、筆舌に尽くしがたい痛恨の経験。さらに2016年には、75年間にわたり人生を共にした最愛の夫・崇仁親王が100歳で薨去されました。親族の手記や当時の宮内庁担当記者の証言によれば、百合子さまは悲嘆に暮れる姿を公の場で見せることは決してなく、「遺された宮家を自分が守り抜かなければならない」という強い覚悟を胸に、毅然とした振る舞いを崩されませんでした。その強靭な精神力と深い情愛こそが、三笠宮家を長年支え続けた真の礎でした。