太平洋戦争下の日本軍の食事事情|銀シャリから飢餓の戦場まで

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日本軍の食生活を語るうえで避けて通れないのが、海軍と陸軍の食事の違いです。両者は起源や文化、組織の成り立ちが大きく異なっており、それが兵食の質や献立の多様性にも如実に表れていました。とりわけ顕著だったのが、明治期から軍隊を苦しめ続けた「脚気(かっけ)」への対応策でした。

日露戦争において、陸軍は森林太郎(森鴎外)軍医総監らが細菌感染説に固執し、白米支給にこだわり続けた結果、約25万人もの脚気患者と2万7,000人を超える死者を出しました。対して海軍は、高木兼寛軍医総監がイギリス留学の知見から「食事の栄養バランス(タンパク質と炭水化物の比率)」に着目し、いち早く主食を白米から麦飯やパンへと切り替える脚気対策としての兵食改革を断行しました。海軍ではビタミンB1不足が防がれ、脚気患者が激減したのです。

海軍の生活舞台である艦艇は、それ自体が巨大な閉鎖空間であり、限られた冷戦・防暑設備の中で乗組員の士気を保つため、食文化の向上が至上命題でした。寄港地で仕入れた食材を活用し、現代日本の国民食のルーツともなった海軍カレーライスのレシピが生み出されたのも艦上生活の知恵でした。小麦粉を炒ってルーを作り、角切りの牛肉やじゃがいも、玉ねぎ、人参を煮込み、味覚だけでなく栄養バランスや曜日感覚の維持(金曜日にカレーを食べる習慣)を支えたのです。さらに、海軍ではシチュー、カツレツ、オムレツ、さらにはサイダーやアイスクリームの製造機まで備えた艦艇が存在し、陸軍将兵から羨望の眼差しを向けられていました。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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