西郷隆盛の死亡の真相|城山の最期・死因と消えた首の謎を徹底検証
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西郷隆盛の介錯が行われた直後、最大の懸念となったのは「総大将の首級を敵に奪われて辱めを受けないこと」でした。別府晋介自身もその後すぐに銃火の中に飛び込んで戦死しますが、西郷の首は従卒であった千沢悌助(ちざわ ていすけ)らに託され、戦場からの隠蔽が図られました。
千沢らは首級を抱えて敵中を掻い潜り、岩崎谷の一角、折田正八邸の門前付近にあった溝の中に泥をかぶせて秘匿しました。しかし、城山を制圧した新政府軍による徹底的な捜索が行われ、捕縛された薩摩軍兵士の証言によって午前9時過ぎには首が掘り起こされることになります。
回収された西郷の首は泥を洗い流され、新政府軍参謀・山県有朋のもとへ運ばれました。かつての盟友であり、敬愛する指導者の首級と対面した山県は、帽子を脱いで深く頭を垂れ、数分間にわたり無言で見つめ続けた後、「あな痛ましや」と絞り出すように呟いたと従軍日誌に記録されています。
遺骸はその後、新政府軍の丁重な配慮によって首と胴体が縫い合わされ、鹿児島市上竜尾町の浄光明寺跡(現在の南洲墓地)に手厚く埋葬されました。現在、南洲墓地には西郷隆盛を中心に、西南戦争で散った2,023名もの薩摩軍将兵が整然と眠っています。