オリジナル・ラブはなぜ1人に?田島貴男のソロ真相と『接吻』誕生秘話を徹底解説
オリジナル・ラブはなぜ1人に?田島貴男のソロ真相と『接吻』誕生秘話を徹底解説とはどのようなものなのか? 詳しい意味を簡潔に解説します。
オリジナル・ラブの歩みを語る上で、避けて通れない最大の疑問が「なぜ名プレイヤーを擁したバンドが最終的に田島貴男の1人体制になったのか」という点です。1991年のメジャーデビュー当時、オリジナル・ラブは田島貴男(Vo, G)、村山孝慶(G)、木原龍太郎(Key)、森宣之(Sax)、宮田繁男(Dr)という5人編成(のちにベースの小松秀行が正式加入し6人編成)の実力派バンドとしてスタートしました。
音楽関係者や当時のドキュメントによると、メンバー脱退の萌芽は1993年前後、バンドが急速に商業的成功を収めていく過渡期に生じていました。1993年に森宣之と村山孝慶が脱退。さらに1995年には、バンドの鉄壁のグルーヴを支えていたドラムの宮田繁男とベースの小松秀行が相次いでバンドを去ります。そして2000年、長年田島の右腕としてアレンジを支え続けたキーボードの木原龍太郎が脱退したことで、オリジナル・ラブは名実ともに「田島貴男のソロ・ユニット」へと移行しました。
オリジナルラブが1人になった理由の核心は、人間関係の破綻ではなく、「田島貴男という天才の創作スピードと純度」に合議制バンドのシステムが追いつかなくなったことにあります。当時のインタビューや制作関係者の証言を総合すると、田島の頭の中にはすでに完成されたホーンセクションやベースライン、複雑なコードボイシングが鳴り響いており、スタジオで各メンバーとすり合わせる合議制のプロセスそのものが、創作のダイナミズムを制限しかねない状況に達していました。
ロックバンドのような共同体民主主義から、スティーリー・ダンやプリンス、あるいは山下達郎のように「トップクリエイターが腕利きの客演ミュージシャンを統率して理想のサウンドを構築するスタイル」へ移行したのは、表現者として至極自然な帰結だったといえます。メンバー脱退の経緯は痛みを伴うものではありましたが、脱退したミュージシャンたちも後に第一線のプロデューサーやセッションマンとして大成しており、互いの才能をリスペクトし合った上での発展的解消であったことが証明されています。