「国会の暴れん坊」は何者だったのか?ハマコー伝説の乱闘と真相
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浜田幸一が全国区の知名度を獲得した背景には、文字通り命がけで身体を張った数々の議会事件が存在します。その中でも、昭和政治の語り草となっている代表的なエピソードが、1979年の「四十日抗争」における党本部バリケード破壊事件と、1988年の衆議院予算委員会での辞任劇です。
1979年秋、大平正芳首相と福田赳夫元首相が激しく対立した「四十日抗争」において、自民党本部内には反主流派によって大量のパイプ椅子が積み上げられ、封鎖バリケードが築かれました。膠着状態を打破すべく単身突入した浜田は、椅子を次々と力任せになぎ倒しながら叫びました。「いいか、お前らのためにやってるんじゃないぞ! 可愛い子どもたちの日本のためにやってるんだ!」。この激甚なシーンはニュース映像として繰り返し放送され、「自民党の汚れ役を引き受ける鉄砲玉」としてのハマコー像を決定づけました。
さらに世間を震撼させたのが、1988年2月6日の衆議院予算委員会での一幕です。当時、予算委員長という議事運営の要職にありながら、日本共産党の宮本顕治議長(当時)を名指しして「人殺し」と発言。審議は即座にストップし、浜田は委員長辞任へと追い込まれました。
暴挙と批判されたこの発言ですが、浜田本人は後に衝撃的な内幕を明かしています。当時、審議の様子はNHK総合テレビで全国生中継されていました。浜田は番組の放送終了時刻を秒単位で逆算しながら発言のタイミングを計り、テレビの電波が切れる直前を狙って決定的な言葉を放ったと述懐しています。共産党と自民党の思想的対立を国民の脳裏に焼き付けるための「計算された確信犯的パフォーマンス」だったのです。荒れ狂う猛獣のように見えながら、その内側には冷徹なメディアストラテジストの目が同居していました。