任天堂創業者・山内房次郎の真相|花札から世界的企業へ繋いだ家系図の謎
任天堂創業者・山内房次郎の真相|花札から世界的企業へ繋いだ家系図の謎にまつわる最新トピックを詳しく紐解きます。
任天堂が歩んだ130年を超える歴史のなかで、最もドラマチックであり、組織論としても特異なのが「山内家の家系図と事業承継の軌跡」です。創業家でありながら、実は初代から三代目に至るまで、男子直系による事業継承は一度も行われていません。
山内房次郎には男子がおらず、長女の貞(テイ)の婿養子として迎えたのが、工芸品商を営んでいた金田積良(かねだ・せきりょう)でした。1929年(昭和4年)、房次郎は70歳で引退し、積良が第二代社長に就任します。積良は「山内積良」と改姓し、合名会社山内任天堂の設立やかるた販売会社「株式会社丸福」の立ち上げなど、家内工業だった任天堂を近代的な近代企業組織へと脱皮させました。
ところが、悲劇の連鎖が山内家を襲います。積良と貞の間にも男子が生まれず、長女のきみの婿養子として稲葉鹿之助(いなば・しかのすけ)を迎えました。しかし、鹿之助は山内家伝統の強烈なプレッシャーと一族の確執に耐え兼ね、長男の博(後の山内溥)がわずか5歳のときに突如として出奔、家庭を放棄して失踪してしまいます。
父の失踪という過酷な環境で祖父母に厳格に育てられた博は、早稲田大学法学部に在学していた1949年、祖父・積良が脳卒中で倒れたことで運命の岐路に立たされます。病床の積良から「今すぐ任天堂を継いでくれ」と乞われた21歳の若き博は、冷徹な条件を突きつけました。
「ほかの山内家の人間をすべて会社から退陣させ、自分ひとりに全権を委ねること」
積良はその条件を呑み、息を引き取りました。初代・房次郎が興し、二代・積良が固めた事業基盤は、親族のしがらみを断ち切った孤高の三代社長・山内溥の手によって、プラスチック製トランプ、エレクトロニクス玩具、そしてファミリーコンピュータ(ファミコン)を通じた世界帝国へと飛躍を遂げることになります。