令和発表の舞台裏を追跡!決定の真相と知られざる候補案の全貌
令和発表の舞台裏を追跡!決定の真相と知られざる候補案の全貌に関する話題のニュースを速報でお届けします。関心のある方は必見です。
「令和」の典拠となったのは、奈良時代に編纂された日本最古の歌集『万葉集』巻五にある「梅花の歌三十二首」の序文です。
天平2(730)年正月13日、大宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人の邸宅(現在の福岡県太宰府市付近)で開かれた観梅の宴。その情景を記録した序文の一節から、二文字が抽出されました。
「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
(初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香)
この漢文は、「初春の佳き月(令月)に、空気は清らかで風はやわらぎ、梅の花は美しい女性が鏡の前で白粉をつけたかのように開き、蘭の花は帯につけた香袋のように香っている」という、春の訪れを寿ぐ瑞祥(ずいしょう)に満ちた情景を描いています。
大化(645年)から平成(1989年)に至るまで、確認できる日本の247の元号は、すべて中国の四書五経などの「漢籍」を典拠としてきました。「書経」「易経」「詩経」といった中国の古典から選ばれるのが1300年にわたる不文律だったのです。この慣例を破り、史上初めて「国書」を採用した背景には、当時の安倍政権が掲げた強い文化的意志が存在しました。
選定理由について、安倍首相は記者会見で次のように述べています。
「万葉集は、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいという願いを込めました」
この原案を考案・提出したのは、日本を代表する万葉学者であり、大阪女子大学元学長の中西進氏(文化勲章受章者)であると報じられています。中西氏は守秘義務を貫き自ら明言することはありませんでしたが、「令」という文字が古代日本語において「麗しい(うるわしい)」を意味し、他者への深い敬意と調和を内包していることを、その後の学術講演で静かに語り続けています。