昔の稚内駅はなぜ海へ伸びていた?消えた連絡船と最北端の歴史を徹底解説
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かつての稚内駅は、現在の近代的な駅複合施設とは打って変わり、厳しい北国の風雪に耐えうる質実剛健な木造2階建ての駅舎だった。築年数を重ねるごとに黒ずんだ木目の壁面と、雪重に耐える傾斜屋根。昭和中期、ホームを埋め尽くした行商人や出稼ぎ労働者、そして旅人たちの熱気は、今なお古写真の中から強烈な存在感を放っている。
知られざる裏話として語り継がれるのが、線路の「伸び縮み」にまつわるドラマだ。開業当初の稚内駅は、現在の南稚内駅の位置に置かれていた。しかし港湾整備が進むにつれて線路はさらに北へと延び、1928年に「稚内港駅」として開設された場所が、のちに現在の稚内駅へと改称される。さらに驚くべきは、列車がそのまま桟橋の先端まで走り込んでいた点だ。乗客は吹雪を避けるため、列車を降りてそのまま連絡船へと滑り込むような乗り換えを行っていたのである。