忠犬ハチ公像の知られざる真相と歴史!渋谷の象徴が世界を魅了する理由

忠犬ハチ公像の知られざる真相と歴史!渋谷の象徴が世界を魅了する理由にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

日本人の心に深く根付いている忠犬ハチ公の物語ですが、史料や当時の証言を精査すると、私たちが抱くイメージとは少々異なる現実が浮かび上がってきます。

ハチが秋田県大館市で生まれ、東京帝国大学農学部教授であった飼い主・上野英三郎博士のもとに引き取られたのは1924年(大正13年)初頭でした。しかし、その幸せな生活は長くは続きませんでした。翌1925年(大正14年)5月21日、上野博士は大学での教授会終了後に脳溢血で急逝。博士とハチが実際に寝食を共にした期間は、わずか1年4か月(約16か月)に過ぎませんでした。

博士の死後、博士の妻・八重の転居や事情により、ハチは世田谷や日本橋など複数の知人宅へと預けられます。しかしハチは人懐っこい気質でありながらも、以前博士と暮らした渋谷の旧宅や、博士の通勤ルートであった渋谷駅へと何度も足を運びました。こうして、1935年(昭和10年)3月8日に満11歳(人間換算で80歳前後)で息を引き取るまで、約10年間にわたって渋谷駅へ通い続ける日々が始まったのです。

ネット上や一部の俗説では「屋台の焼き鳥目当てで駅にいただけではないか」という冷淡な見方も囁かれます。実際、晩年のハチを診察した記録や解剖結果から、駅周辺の屋台から肉をもらっていた事実や、胃から焼き鳥の串が見つかった記録は存在します。しかし、ハチが朝夕の決まった改札口の出入り時間に合わせて静かに座り、博士の姿を探し続けた行動様式は、単なる空腹満たしだけでは説明がつきません。強烈な習慣形成と、短くも濃密だった博士への愛着が、ハチを行動させ続けた決定的な原動力であったことは間違いありません。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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