キングダム蒙武の史実と強さ|六将第一将の結末と昌平君との宿命
今注目を集めている キングダム蒙武の史実と強さ|六将第一将の結末と昌平君との宿命について、多角的な視点をご紹介しています。
司馬遷の『史記』をはじめとする中国の歴史書において、蒙武の足跡は極めて明確かつ華々しく記録されています。ネット上の一部で囁かれる「蒙武は戦死したのではないか」という死亡説ですが、史実の記録を精査するとまったく異なる事実が浮かび上がります。
紀元前224年、李信(信)と蒙恬が楚の項燕に大敗した後、秦王・政は引退していた名将・王翦を総大将として60万の大軍を再編成します。このとき王翦の副将として従軍したのが蒙武です。
翌紀元前223年、王翦と蒙武は楚軍を破り、楚王・負芻を捕縛。さらに残党を率いて最後の抵抗を試みた項燕と昌平君を追い詰め、楚を完全に滅亡させました。史実の記録から見ても、蒙武は中華統一の総仕上げにおいて王翦と並ぶ最大級の勲功を挙げた勝ち組武将であり、非業の戦死を遂げた事実はありません。