大平正芳の急死の真相と功績|田園都市構想から死因まで徹底解説
大平正芳の急死の真相と功績|田園都市構想から死因まで徹底解説の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。
1980年(昭和55年)5月16日、日本政界は突如として大混乱に陥りました。社会党が提出した内閣不信任決議案に対し、福田派や三木派といった自民党内の反主流派が本会議を欠席。予想外の形で不信任案が可決される「ハプニング解散」が発生したのです。大平は退陣を選ばず、憲政史上初となる衆参同日選挙(第36回衆院選・第12回参院選)という乾坤一擲の勝負に打って出ました。
しかし、前年の1979年に繰り広げられた自民党内の泥沼の権力闘争「四十日抗争」による精神的疲労に加え、党内融和と過酷な全国遊説の重圧は大平の肉体を極限までむしばんでいました。当時の側近や医師団の記録によると、公示直前から極度の不整脈と胸の痛みを訴えていたものの、大平は「陣頭指揮を執る」と周囲の制止を振り切って選挙戦へ突入しました。
5月30日、遊説先の東京・新宿で街頭演説を終えた直後に体調が急変し、虎の門病院へ緊急入院。医師団は「過労による狭心症」と発表し絶対安静を命じましたが、病室でも選挙情勢の報告を受け続け、心身の休まる暇はありませんでした。そして投開票日を10日後に控えた1980年6月12日午前5時54分、心筋梗塞による急性心不全のため、70歳でこの世を去りました。現職首相が選挙期間中に客死するという悲劇は日本中に衝撃を与え、結果として自民党に対する強烈な同情票を生み、衆参両院での歴史的大勝へとつながりました。