石破茂の家系図を徹底解剖!父・二朗と妻・佳子、娘たちの経歴とルーツ
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石破茂氏を語るうえで外せないのが、父・石破二朗氏の存在です。二朗氏は現在の鳥取県八頭町出身で、東京帝国大学法学部を卒業後、内務省に入省。戦後は建設省で事務次官まで登り詰めたエリート官僚でした。官僚を退任後、地元鳥取に請われて鳥取県知事選挙に出馬し、4期16年にわたって地方行政の舵取りを担いました。
鳥取県の近代化、とりわけ豪雪地帯のインフラ整備や治山治水において絶大な治績を残した二朗氏は、知事退任後に参議院議員へ転じ、鈴木善幸内閣で自治大臣兼国家公安委員長に就任。まさに「鳥取のドン」と呼ぶにふさわしい重鎮でした。しかし、1981年に73歳で急逝。当時、三井銀行(現・三井住友銀行)で融資業務に従事していた茂氏の人生を大きく変える契機が訪れます。
二朗氏の葬儀委員長を務めたのは、長年深い盟友関係にあった田中角栄元首相でした。自著『保守政治家 我が政策、我が天命』などの手記でも触れられている通り、田中角栄氏は葬儀後、20代半ばの茂氏を目白の邸宅に呼び出し、「お前が親父の跡を継いで出ろ。香典を持って鳥取の全有権者を回れ」と一喝。この運命的な言葉によって、若き銀行員は政治家への道を歩み出すことになりました。
一方、精神的支柱として茂氏に決定的な影響を与えたのが、母・みどり氏の存在です。みどり氏の祖父にあたる金森通倫(かなもり つうりん)は、熊本洋学校でジェーンズに学び、キリスト教への忠誠を誓った「熊本バンド」の主要メンバー。新島襄らとともに初期の同志社大学を支え、全国を巡回伝道した日本プロテスタント史の巨星です。母・みどり氏自身も名門・普連土学園で国語科教員を務めた知性あふれる女性であり、熱心な信徒でした。
茂氏は幼少期から母に連れられて鳥取教会に通い、18歳の夏に日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けました。「自分を絶対化しない」「弱者の声を重んじる」という石破氏の政治哲学の根底には、官僚的リアリズムを重んじた父の薫陶とともに、母から受け継いだプロテスタントの精神的伝統が色濃く息づいています。