特攻の父・大西瀧治郎の壮絶な切腹と遺書|介錯を拒んだ自決理由の真相
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大西瀧治郎は、元来から狂信的な特攻論者だったわけではありません。むしろ山本五十六とともに海軍航空隊の黎明期を築き上げ、航空主兵論を唱えた極めて合理的な航空戦略家でした。
1944年10月、第一航空艦隊司令長官としてフィリピン・マバラカット飛行場に着任した際、残存戦力はわずか数十機の零戦のみ。連合軍の圧倒的物量を前にレイテ沖海戦を支援するには、通常攻撃ではもはや母艦に接近すらできない現実に直面しました。大西は幹部らを前に「特攻は統率の外道である」と断言しながらも、250キロ爆弾を装填した零戦で体当たりを命じる神風特別攻撃隊(敷島隊・関行男海軍大尉ら)を編成せざるを得ませんでした。
大西の真意は、特攻による大打撃によって米軍に「日本本土への侵攻は容易ではない」と痛感させ、無条件降伏ではなく、国家と皇室を保持できる有利な講和条件を引き出すことでした。1945年5月に海軍軍令部次長に就任した後も、徹底抗戦を叫び続けた背景には、外交的取引のカードを少しでも高めたいという冷酷な軍事力学と、若者を犠牲にした以上、無抵抗の降伏はできないという指導者の重圧が存在していました。