ムッソリーニ逆さ吊りの真相|ロレート広場の処刑劇と独裁者の最期
ムッソリーニ逆さ吊りの真相|ロレート広場の処刑劇と独裁者の最期の詳細解説をご紹介します。専門的な知識が詰まっています。
現在でもネット上の言説やSNSの考察スレッドにおいて、「ムッソリーニはロレート広場で民衆の目前で生きたまま逆さ吊りにされ、惨殺された」という誤解が散見されます。しかし、一次資料や当時の公式報告書を突き合わせると、処刑と遺体の晒し上げは時間的にも空間的にも明確に切り離されていました。
射殺されたのは前述の通り4月28日夕刻、ミラノから北へ約80キロメートル離れたコモ湖畔の僻地です。したがって、「公開絞首刑」のように民衆が見守る中で息絶えたわけではありません。すでに絶命し死後硬直の始まった遺体が輸送され、翌日になってから広場へ遺棄されたのが実情です。
また、逆さ吊りという形式そのものが持つ中世的意味論も看過できません。北イタリアから中部イタリアの都市国家群には、中世より「裏切り者」や「重大な恥辱に値する犯罪者」を塔や城壁に逆さ吊りにした姿を描く「恥辱画(pittura infamante)」の文化的文脈が存在しました。民衆にとって、独裁者を頭から吊るす行為は単なる便宜的処置にとどまらず、イタリアを破滅的敗戦に引きずり込んだ「祖国の裏切り者」に対する文化的な脱神格化の儀礼でもありました。
そして、最も凄惨な混乱のなかで起きたひとつの逸話が残されています。ともに逆さ吊りにされた愛人クララ・ペタッチは、スカートを穿いていたため、逆さまに吊るされた際に衣服がめくれて下着と脚が露わになってしまいました。群衆の一部から無遠慮な野次と冷笑が飛ぶ中、一人のパルチザン兵士(または現場に駆けつけた司祭ドン・テオドロ・ピロヴァーノとも伝えられる人物)が自らのベルト、あるいは安全ピンを外し、彼女の足元に駆け寄ってスカートの裾を留め直したと記録されています。暴力の極致にあったロレート広場で、人間の最後の尊厳をかろうじて留めようとしたこの行為は、当時の目撃者たちの証言集『ミラノ解放の日々』などでも深く刻まれています。