「願わくば花の下にて春死なん」の意味と西行法師が遂げた最期の真相
「願わくば花の下にて春死なん」の意味と西行法師が遂げた最期の真相にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。
なぜ西行は、わざわざ「如月の望月」という極めて具体的な時期を指定したのでしょうか。ここを見落とすと、この歌を「春の桜を愛でながら安らかに眠りたいという、風流な隠者のポエム」と矮小化して受け取ってしまうことになります。
旧暦2月15日とは、仏教の開祖である釈迦入滅(しゃかにゅうめつ=釈迦が亡くなり、涅槃に入った日)と伝えられる仏教界最大の聖日です。平安時代末期、日本中には「末法思想」が蔓延していました。釈迦の教えが形骸化し、世が乱れて誰も救われなくなるという終末論的な不安が貴族から庶民までを覆い尽くしていた時代です。
23歳という若さで将来を嘱望された北面武士(朝廷を警護するエリート武士・佐藤義清)の身分を捨て、出家した西行にとって、仏道への帰依は人生そのものでした。西行にとっての理想とは、仏教の究極の師である釈迦と同じ日、同じ満月の夜にこの世を去り、迷いなく西方極楽浄土へと旅立つことだったのです。
さらに西行の凄みは、その宗教的解脱の場に「桜(花)」を重ね合わせた点にあります。仏教の戒律において、地上の現世的な美に執着することは「執心(迷いの原因)」として厳しく戒められていました。しかし西行は、自らが狂おしいほどに愛した「桜」と「月」、すなわち数寄(すき=美の追究)の極致と、仏陀への絶対的な帰依をひとつに融合させようと試みたのです。
花の下で死ぬことは、単なる感傷的なロマンチシズムではありません。自らの美意識(花)と信仰心(釈迦入滅の満月)の境界線を消し去り、大宇宙と一体化して往生するという、命がけの宗教的宣言にほかなりませんでした。