赤坂御用地の北を走る安鎮坂の歴史と由来|別名に隠された謎を追う
赤坂御用地の北を走る安鎮坂の歴史と由来|別名に隠された謎を追うの基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。
安鎮坂には、歴史の各時代を映し出す複数の別名が存在します。中でも最も広く知られているのが「権田原坂(ごんだわらざか)」という呼称です。
権田原の地名は、江戸時代初期に幕府の旗本であった権田原玄蕃(ごんだわら げんば)の屋敷があったことに由来するという説や、仏教の「権田」にちなむ説など諸説あります。現在も坂下の要衝である「権田原交差点」にその名が残されており、地元では安鎮坂と同義で使われるケースが少なくありません。
さらに明治時代に入ると、周辺一帯に陸軍の精鋭部隊である近衛歩兵連隊や近衛騎兵連隊の兵営が置かれたことから、兵士や市民の間で「近衛坂(このえざか)」とも呼ばれるようになりました。一つの坂道に重なる複数の呼び名は、この地が江戸の武家地から近代の軍用地、そして現在の皇室関連施設周辺へと姿を変えてきた歩みを物語っています。