同潤会とは何だったのか?表参道を生んだ奇跡の住宅と解体の真相
同潤会とは何だったのか?表参道を生んだ奇跡の住宅と解体の真相とはどのようなものなのか? 主要なファクトを整理してお届けします。
これほど愛され、建築的にも文化的にも価値の高かった同潤会アパートが、なぜ一つ残らず姿を消さなければならなかったのでしょうか。ネット上では「単なる利権争いや行政の横暴で壊された」といった極論が散見されますが、取材を進めると、そこには避けて通れない技術的限界と構造的ジレンマが存在していました。
同潤会アパートの解体理由を掘り下げると、主に3つの決定的な壁に突き当たります。
第1に、「配管設備の埋め殺し」による修繕不能問題です。大正から昭和初期のRC建築黎明期に建てられた同潤会アパートは、給排水管がコンクリートの床や壁の中に直接埋め込まれていました。現代のマンションのように「配管だけを交換できるパイプスペース(PS)」が設計されていなかったため、築60年を超えて配管が破裂・腐食した際、直すためには住戸の躯体を壊すしかありませんでした。末期には漏水や悪臭が日常化し、衛生環境の維持が限界に達していたのです。
第2に、耐震性と断熱性の致命的な不足です。関東大震災の教訓から頑丈に造られたとはいえ、基準はあくまで大正時代の知見によるもの。現代の「新耐震基準」には到底及ばず、コンクリートの中性化(劣化)も急速に進行していました。さらにエアコン用の配管穴や高容量ブレーカーが想定されていないため、住人は夏の酷暑と冬の底冷えに耐えざるを得ませんでした。
第3に、権利関係の複雑化と土地価格の高騰です。戦時体制下の1941年(昭和16年)、同潤会は国の統制政策によって「住宅営団」へと統合され、組織として消滅します。戦後、アパートは各自治体や入居者へ払い下げられましたが、年月を経て所有権・借地権が細分化。表参道や代官山という一等地ゆえに土地代が高騰する一方、老朽建物に建て替えもできず、権利者たちの合意形成には数十年規模の歳月を要することになりました。