「疑わしきは罰せず」で凶悪犯が無罪になる理由と司法の境界線
「疑わしきは罰せず」で凶悪犯が無罪になる理由と司法の境界線に関する専門家の意見を詳しく解説いたします。
日常会話でも耳にする「疑わしきは罰せず」ですが、法律用語としての厳密な位置づけを正確に把握している人は多くありません。この言葉の直接的な法源は、古代ローマ法に由来するラテン語の法格言「In dubio pro reo(疑わしきは被告人の利益に)」にあります。刑事訴訟において、裁判官が有罪か無罪か確信を持てないグレーな状態に陥った場合、その不利益は国家(検察)が負うべきであり、被告人には有利に判断しなければならないという「審理の終局における決定ルール」を指します。
一方で、よく混同される概念に「推定無罪の原則」があります。国際人権規約や世界人権宣言第11条にも明記されているこの原則は、「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という手続き上の身分保障です。英語表現では「Presumption of innocence」と呼ばれ、裁判が始まる前の捜査段階から結審に至るまで、被疑者・被告人を罪人として扱ってはならないという「プロセスの大前提」を規定しています。日常英会話で用いられる「Give someone the benefit of the doubt(疑わしい点は善意に解釈する)」という表現も、この思想から派生したものです。
つまり、捜査や公判の全過程を通じて被告人を保護する傘が「推定無罪の原則」であり、証拠を精査した最終局面で裁判官の手元に残る天秤の基準が「疑わしきは罰せず(疑わしきは被告人の利益に)」です。両者は近代法の両輪として機能し、国家という強大な権力から個人を守る防壁となっています。