藤子・F・不二雄とAの違いとは?作風・代表作とコンビ解消の真相
藤子・F・不二雄とAの違いとは?作風・代表作とコンビ解消の真相について押さえておきたい ポイントを分かりやすく解説いたします。
1987年12月、藤子不二雄は突如としてコンビ解消を正式発表しました。デビューから30年以上にわたり築き上げてきた黄金コンビの独立劇は、当時のメディアやファンの間で大きな衝撃をもって受け止められ、一部では「仲違いによる訣別ではないか」という憶測も飛び交いました。しかし、一次資料や両氏の生前の発言を突き合わせると、真相は極めて理知的で愛情に満ちたものでした。
コンビ解消の直接的な契機となったのは、1986年に発覚した藤本弘の胃がん手術です。大病を患った藤本は自らの死期を意識し始め、残される家族への配慮を現実的に検討するようになりました。当時、藤子不二雄名義の作品から生じる著作権使用料や印税は、共同経営していた「株式会社藤子スタジオ」に一括して入り、それを2人で均等に分配するスキームが採られていました。
しかし、『ドラえもん』の空前の世界的メガヒットにより、実質的に生み出される収益バランスには大きな開きが生じていました。もし将来どちらかが他界した場合、著作権の帰属や遺産相続、税務処理をめぐって双方の遺族間で深刻なトラブルが発生しかねません。法務・税務の観点からも、著作権をそれぞれの作家個人に明確に帰属させる必要があったのです。
安孫子素雄は後に、自著や回想インタビューの中で当時の胸中をこう明かしています。「藤本君から『そろそろ別々にやらないか』と切り出されたとき、ショックはあったけれど、彼の健康状態やこれからの人生を考えれば至極もっともな提案だった」。長年培った信頼関係があったからこそ、感情的なもつれに発展することなく、1988年には藤子スタジオからF作品の管理会社として「株式会社藤子・エフ・不二雄プロ(藤子プロ)」が円満に独立・分割されました。