前方後円墳はなぜ鍵穴形なのか?最新調査が暴く埋葬者の正体と謎
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日本全国の前方後円墳の中で、学術的・歴史的に最大の焦点となっているのが「箸墓古墳(奈良県桜井市)」と「大仙陵古墳(大阪府堺市)」です。
箸墓古墳:最新科学が迫る「卑弥呼の墓」の真相
奈良盆地東部に位置する箸墓古墳(全長約280m)は、最古級の前方後円墳として知られています。『日本書紀』では倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と伝えられていますが、考古学界では長年「これこそが邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないか」と議論されてきました。
近年、国立歴史民俗博物館を中心とする研究グループが、出土した土器に付着した炭化物の放射性炭素(C14)年代測定を実施。その結果、築造時期が3世紀中頃から後半(250〜260年頃)に収まる可能性が極めて高いことが判明しました。これは、中国の史書『三国志』魏志倭人伝に記された卑弥呼の没年(248年頃)と見事に一致します。神話の世界と考古学的実年代が接点を持った歴史的瞬間として、古代史ファンの間でも大きな激震が走りました。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵):日本最大のメガ古墳に眠るのは誰か?
墳丘長486m、日本一の大きさを誇る大仙陵古墳。宮内庁によって第16代・仁徳天皇の陵墓に治定されていますが、考古学界の実証データとの間には大きなタイムラグが存在します。
考古学の出土遺物(須恵器や円筒埴輪の編年)から割り出された大仙陵古墳の築造年代は、5世紀前半から中頃(420〜450年頃)。一方、古事記や日本書紀の年代観をそのまま適用すると、仁徳天皇の治世とズレが生じます。近年の学会では、中国史書に登場する「倭の五王」のうち、讃(さん)または珍(ちん)の墓ではないかとする説が有力視されています。
2018年以降、宮内庁と堺市による史上初の発掘調査が堤部分で複数回実施され、精緻な石敷き構造や大量の埴輪列が確認されました。厳重に閉ざされてきた陵墓行政の壁が学術目的で一部開放され始めたことは、古代史解明に向けた歴史的な転換点といえます。