成田山や川崎大師も?真言宗智山派の真相|豊山派との違いと葬儀作法
成田山や川崎大師も?真言宗智山派の真相|豊山派との違いと葬儀作法の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。
初詣の時期になるとテレビ中継で賑わいを見せる千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の川崎大師平間寺、そして東京都八王子市の高尾山薬王院。これら関東屈指の寺院は、独立した単立寺院ではなく、すべて真言宗智山派の大本山として位置づけられています。
なぜ京都に本山を置く智山派が、遠く離れた関東の地でこれほど強大な寺院網を形成したのか。その背景には、江戸時代に花開いた「庶民信仰」と「現世利益の祈祷」という明確な歴史的必然が存在します。
江戸期の江戸市中において、成田山の不動明王が深川などへ出向いて開帳を行う「出開帳(でがいちょう)」は大ブームを巻き起こしました。歌舞伎役者の初代市川團十郎が成田屋の屋号を名乗り、舞台で不動明王を演じたことで人気は決定的なものとなります。同じく川崎大師も徳川第11代将軍家斉の厄除け祈願を契機に広く浸透しました。観念的な瞑想にとどまらず、火炉に薪を投じて煩悩を焼き尽くす「護摩祈祷」の迫力と霊験が、激動の現世を生きる庶民の心を捉えて離さなかったのです。