ドリフターズ初代メンバーの衝撃の真相|脱退・確執・分裂を徹底解説

ドリフターズ初代メンバーの衝撃の真相|脱退・確執・分裂を徹底解説を徹底追究! 知っておきたい トピックの裏側を分かりやすく展開します。

1969年にスタートした『8時だョ!全員集合』(TBS系)は、開始間もなく日本中を巻き込む社会現象となりました。「なんだ、バカヤロー!」「This is a pen!」などのフレーズで独自の不条理な存在感を放っていたのが荒井注でした。しかし、栄光の絶頂にあった1973年秋、荒井注は突如としてグループ脱退の意向を表明します。

荒井注の脱退理由は、精神的・肉体的な極限疲労でした。毎週の公開生放送に向けた連日の過密スケジュール、毎日のように行われる深夜に及ぶネタ会議、そして年下のいかりや長介による厳しいダメ出しに、荒井の体力と精神力は限界に達していました。後年のインタビューで荒井は「体力の限界だった」「もうこれ以上新しいギャグが思い浮かばない。若いやつに席を譲るべきだ」と語っています。不仲による喧嘩別れではなく、燃え尽き症候群に近い極限状態からの勇退でした。

そこで白羽の矢が立ったのが、当時24歳の志村けん(本名・志村康徳)でした。志村は都立高校卒業間際の1968年、雪の降る日にいかりや長介の自宅前で何時間も待ち続け、直接弟子入りを直訴した経歴を持ちます。長年ボーヤ(バンドボーイ兼付き人)を務め、一時は井山淳とコンビ「マックボンボン」を結成してメジャーデビューを果たすも挫折。ドリフの現場に復帰していた志村の実力と笑いへの狂気的な情熱を、誰よりも理解していたのが荒井注といかりや長介でした。

荒井注の後押しを受け、志村けんは1974年4月に正式メンバーへと昇格します。加入当初は「新参者」として観客の冷たい反応に苦しんだ志村でしたが、「東村山音頭」の大ヒットを皮切りに「カラスの勝手でしょ」「ヒゲダンス」「変なおじさん」など日本列島を揺るがすメガヒットギャグを連発。いかりやの緻密な舞台演出と、志村の野性的なナンセンスギャグが融合したことで、ザ・ドリフターズは昭和演芸の頂点へと登り詰めたのです。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest