京都・六波羅蜜寺の謎を解く|空也上人像と開運推命おみくじの真実
京都・六波羅蜜寺の謎を解く|空也上人像と開運推命おみくじの真実の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。
ネットの検索窓に「六波羅蜜寺」と入力すると、関連語句に「怖い」「心霊」といった不穏なキーワードが浮上します。しかし、この恐怖感の正体はオカルト的な怪奇現象ではなく、この地が背負ってきた平安時代以来の過酷な歴史空間の記憶にあります。
六波羅蜜寺が位置する東山区松原通(旧・五条大路)一帯は、古くから「六道の辻(ろくどうのつじ)」と呼ばれ、人の住む「現世」と、平安期の三大風葬地であった「鳥辺野(とりべの)」という「冥界」の境界線とされていました。死者を葬送する際、遺族は六道の辻で見送り、あの世へと魂を送り出していたのです。平安京の飢饉や疫病で鴨川の河原に無数の遺骸が放置された時代、空也上人はその凄惨な光景のなかに自ら分け入り、遺体を荼毘に付しながら十一面観音像を刻んで建立したのが、この寺の起源(西光寺)でした。
さらに、六波羅蜜寺から歩いてすぐの辻には、創業400年以上の歴史を誇る老舗「みなとや幽霊子育飴本舗」が実在します。夜な夜な飴を買いに来る女性の不審に思った店主が後を追うと、鳥辺野の墓地で行き倒れた母親の亡骸のそばで、飴をしゃぶって生き延びていた赤ん坊を発見したという「幽霊子育飴」の伝説です。死者の情念と母の慈愛が交錯するこの地一帯の伝承が、六道珍皇寺の「冥土通いの井戸」や六波羅蜜寺の厳粛な佇まいと結びつき、「異界の入り口としての怖さ」を現在に伝えているのです。