江戸三大改革はなぜ失敗したのか?吉宗・定信・忠邦の真相と覚え方
江戸三大改革はなぜ失敗したのか?吉宗・定信・忠邦の真相と覚え方の疑問点について、分かりやすい解説を取りまとめてご紹介します。
定期テストや高校入試、大学受験の日本史において、江戸三大改革の年号と順番は頻出中の頻出テーマです。まずは全体の時系列と指導者、キー施策を頭の中で完全にリンクさせることが攻略の近道となります。
三大改革は、中期の吉宗から幕末直前の忠邦まで、およそ半世紀から70年のスパンを空けて順次展開されました。中学歴史のまとめとして必須となる基本の流れは以下の通りです。
- 享保の改革(1716年〜):主導者は8代将軍・徳川吉宗
- (※この間に田沼意次の政治:1767年〜1786年)
- 寛政の改革(1787年〜):主導者は老中・松平定信
- 天保の改革(1841年〜):主導者は老中・水野忠邦
これらを確実に得点源へ変えるため、受験現場で圧倒的な定着率を誇る江戸三大改革の語呂合わせを紹介します。
- 享保の改革(1716年):「非難(17)色(16)なき吉宗、享保の改革」
※紀州藩から8代将軍に就任し、財政再建へ果敢に挑んだ吉宗の颯爽とした登場をイメージします。 - 寛政の改革(1787年):「非難は花(1787)咲く、寛政の改革」
※厳しすぎる倹約令や言論統制に町民から不満の声(非難)が噴出した様子を連想すると記憶に残りやすくなります。 - 天保の改革(1841年):「人は良い(1841)のに、失敗続きの天保の改革」
※意気込みは強烈だったものの、わずか2年余りで失脚した水野忠邦の悲哀を覚えるフレーズです。
「享保・寛政・天保」の頭文字を取って「きょう・かん・てん(今日、感嘆)」と順番を記憶したうえで、それぞれの改革の合間に田沼意次の商業重視策が挟まっているという位置関係を把握しておけば、年表問題で迷うことは一切なくなります。