美智子様へのいじめは本当だった?失声症に追い込まれた壮絶な真相を解説
美智子様へのいじめは本当だった?失声症に追い込まれた壮絶な真相を解説についての真相を徹底解説します。
美智子さまの受けられた精神的重圧が、最も残酷な形で可視化されたのが、過去2度に及ぶ「失声症」の事態です。言葉を奪われるという極限の心身反応は、当時の宮内庁やメディアの風当たりがいかに過酷であったかを雄弁に物語っています。
1度目の異変は、ご成婚からわずか4年後の1963年(昭和38年)春に起きました。浩宮徳仁親王(現天皇陛下)を出産された後、第2子を身ごもられたものの、心身の過度の疲労から妊娠検診で胞胎の異常が見つかり、やむなく人工妊娠中絶の手術を受けられることとなりました。当時、美智子さまが自らの手で子どもを育てる「マイホーム主義」や、台所を作って自ら料理を振る舞う改革に対して「皇室の伝統を軽視している」という激しい非難が浴びせられていました。心身ともに限界を迎えた美智子さまは、葉山御用邸で長期静養を余儀なくされ、その過程で一時的に声を失う状態に追い込まれました。
2度目の悲劇は、それから30年後の平成の時代、1993年(平成5年)10月20日に起こります。まさに美智子さまの59歳のお誕生日の当日でした。赤坂御所で祝賀の席に向かわれる直前、美智子さまはその場に倒れ込み、意識は戻ったものの声が全く出なくなってしまったのです。
この第2の失声症の引き金となったのは、同年夏から一部の週刊誌や月刊誌を中心に吹き荒れた、狂乱とも呼べる「皇后バッシング報道」でした。「宮中を私物化している」「皇居の森の木を切り倒して豪華な新宮殿を建設させた」「夜中にインスタントラーメンを作らせる」といった、宮内庁関係者の匿名証言を装った悪意に満ちた怪文書まがいの記事が連週にわたり掲載されたのです。
反論の機会を一切持たない立場にある皇族に対し、無責任な言説が浴びせられ続ける苦痛。倒れられる直前、美智子さまはお誕生日に際した文書回答の中で次のような痛切な言葉を残されていました。
「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。ただ、事実でない報道がまことしやかに流され続けることには、深い悲しみと戸惑いを覚えます」
この告白の直後に発症した失声症は、心因性によるものと診断され、声を再び取り戻されるまでには翌年春まで数カ月もの時間を要しました。発言権を持たない人間を標的にした一方的なメディアスクラムが、一人の女性の心身を破壊した歴史的事件でした。