河島英五「時代おくれ」が令和に刺さる理由と阿久悠の誕生秘話
河島英五「時代おくれ」が令和に刺さる理由と阿久悠の誕生秘話に関する専門家の意見を詳しく解説いたします。
この名曲の成り立ちには、昭和歌謡界の頂点に君臨していたクリエイターたちの並々ならぬ執念が存在します。一般的に河島英五といえば自作自演のシンガーソングライターとして知られていたため、今でも本作を河島の作詞作曲だと信じ込んでいるリスナーは少なくありません。しかし実態は、作詞・阿久悠、作曲・森田公一という歌謡史を牽引した盟友タッグによる提供楽曲でした。
「時代おくれ」の誕生秘話は、日本全体が狂乱のバブル経済へと突き進んでいた1986年に遡ります。土地や株の投機熱が過熱し、軽薄短小なトレンドがもてはやされる中、阿久悠は当時の浮かれた世相に強い危機感を抱いていました。阿久は自著やエッセイ『家族の言い分』などの記録の中で、「世の中が華美で饒舌なものばかりを称賛する時代だからこそ、無口で不器用だが、社会の底辺を支えている名もなき男の美学を描かなければならない」という創作意図を明かしています。
しかし、この重厚で抑制された歌詞は、歌う人間を極端に選びます。売れ線の歌謡歌手が歌えば単なるポーズに見え、フォークシンガーが歌えば説教臭い独善に陥りかねません。そこで白羽の矢が立ったのが、すでに「酒と泪と男と女」で確固たる無頼と哀愁のイメージを確立していた河島英五でした。関係者の証言によると、阿久悠は河島の内側にある「無骨な優しさと、どこか土の匂いがする野生味」に全幅の信頼を置き、楽曲を託したとされています。森田公一の過剰なドラマツルギーを削ぎ落とした素朴なメロディと相まって、河島の声を得た言葉は、一人の生身の人間の告白として息を吹き返したのです。