日向の国とは現在のどこ?神話の舞台と境界の歴史を徹底解剖

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古代律令制における「日向国」の現在の場所は、基本的には宮崎県全域(東臼杵郡、西臼杵郡、児湯郡、東諸県郡、西諸県郡、北諸県郡、南那珂郡などの旧郡域)に該当します。ただし、歴史的変遷を細かく検証すると、現在の鹿児島県志布志市や大崎町、曽於市、霧島市の一部などが時代によって日向国に含まれていた時期があり、単純な県境の一致ではありません。

「日向」の読み方は、一般に「ひゅうが」と読まれますが、古代の呼称は「ひむか」でした。その名前の由来は『日本書紀』景行天皇条に記された伝承に遡ります。景行天皇が熊襲征討でこの地を行幸した際、東方の海から昇る太陽を望み「この国は日の出に向かう国である」と称賛したことから「日向(ひむか)国」と命名されたと伝えられています。

大宝律令が制定された701年当時、日向国は南九州の広範囲(現在の宮崎県および鹿児島県本土)を包括する強大な「大日向国」でした。しかし、702年に薩摩国が分立し、さらに713年(和銅6年)には大隅国が分立したことで、日向国の行政区分は以下の古代5郡へと再編・定着しました。

古代郡名主な該当地域(現在の市町村)歴史的特徴・拠点臼杵郡(うすきぐん)延岡市、日向市、西臼杵郡(高千穂町・日の影町・五ヶ瀬町)、東臼杵郡県北部を占める広大な山林地帯。神話の高千穂や後の延岡藩領を含む。児湯郡(こゆぐん)西都市、高鍋町、新富町、木城町、川南町、都農町、西米良村日向国府や国分寺が置かれた政治・文化の中心。西都原古墳群が広がる。宮崎郡(みやざきぐん)宮崎市(大淀川以北および沿岸部周辺)大淀川下流域の肥沃な平野部。古代から港湾交通の要衝。那珂郡(なかぐん)日南市、串間市、宮崎市南部(旧田野町・清武町など)日向灘沿岸の温暖な地域。中世以降は伊東氏の飫肥城下町が栄える。諸県郡(もろかたぐん)都城市、小林市、えびの市、鹿児島県志布志市・大崎町・曽於市の一部盆地と山間部にまたがる広大要地。島津荘の発祥地であり薩摩勢力の影響が強い。

古代の行政拠点である日向国府の所在地は、児湯郡(現在の西都市妻地区)に置かれました。周辺には日本最大級の規模を誇る「西都原(さいとばる)古墳群」が展開しており、律令制以前からこの地に強大な在地豪族が存在していた事実を明確に裏付けています。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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