ムロツヨシ本名をカタカナにした理由とは?母を守る生い立ちと涙の真相
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ムロツヨシの明るくユーモラスなパブリックイメージの裏には、昭和から平成へと移り変わる時代の中で経験した、あまりに複雑な家庭環境が存在します。1976年1月23日、神奈川県横浜市に生まれた彼は、4歳のときに両親が離婚という最初の人生の分岐点を迎えました。親権は父親が持つことになりましたが、幼いムロツヨシと2歳年上の姉の生活は、平穏とはほど遠いものでした。
離婚後、父親は間もなく別の女性と親密になり、子どもたちを連れてその女性の元へ身を寄せることになります。しかし、その関係も長くは続かず、父親はやがて新たな別の女性と再婚を決意。結果として、ムロツヨシと姉は父方の伯父夫婦(父親の兄夫婦)や祖父母の家庭に預けられることとなりました。父親は再婚相手との間に子どもをもうけ、同じアパートの隣同士の部屋に住みながらも別々の生活を送るという、極めて異例かつ歪な距離感で少年期を過ごすことになります。
自著の手記や過去の長期密着ドキュメンタリーにおいて、彼は当時の心境を「親戚の家で迷惑をかけないよう、嫌われないように常に大人の顔色を伺い、明るく振る舞っていた」と述懐しています。周囲を笑わせ、場の空気を和ませるという現在の卓越したコメディセンスは、過酷な環境を生き抜くために子ども心に身につけた、切実な自己防衛の処世術でもありました。
進学校である神奈川県立鶴見高校を卒業後、一浪を経て東京理科大学理学部数学科へと進学。学術的な成功による人生の再構築を目指したものの、大学入学からわずか3週間で俳優・深津絵里の舞台『春光(すんこう)のまち』を観劇したことで人生が一変します。舞台上で放たれる役者たちの熱量に圧倒された彼は、「自分もあちら側の世界へ行く」と即座に決断。周囲の猛反対を押し切り、入学から1か月足らずで大学を中退し、劇団の養成所へと飛び込みました。何の後ろ盾もないまま背水の陣を敷いたこの瞬間から、表現者としての過酷な下積み時代が幕を開けたのです。