隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いとは?教科書改訂の真相
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世間の歴史認識において、「大浦天主堂で信徒が発見されたことで、すぐにキリスト教は自由になった」と誤解されているケースが目立ちます。しかし、現実は正反対でした。信徒の存在が明るみに出たことで、幕府、そして発足したばかりの明治新政府は激しい危機感を抱き、最後にして最大の弾圧「浦上四番崩れ(1867年〜1873年)」を引き起こしました。
明治政府は「五榜の掲示」においてキリスト教(邪宗門)の厳禁を改めて宣言。浦上の信徒約3,400人を捕縛し、金沢、名古屋、萩、津など全国各地の諸藩へ流罪・配流としました。配流先では、極寒の屋外で氷水に浸からせる拷問や、狭い牢獄での飢餓など過酷を極める棄教強要が行われ、600人以上が命を落としたと記録されています。
この残虐な弾圧行為は、明治政府が不平等条約改正を目指していた欧米列強諸国から激しい非難を浴びることとなりました。「信仰の自由を認めない野蛮国との条約改正には応じられない」という強い外交的圧力に屈する形で、1873年(明治6年)2月24日、太政官布告によってキリシタン禁制の高札がついに撤去されました。潜伏キリシタンが「潜伏」を解かれ、公に祈る権利を手に入れたのは、近代国家としての体裁を保つための外交判断という、極めて現実的な政治力学の結果でもあったのです。