近藤勇の最後と斬首の真相|なぜ切腹は許されず流山投降から処刑へ至ったか
近藤勇の最後と斬首の真相|なぜ切腹は許されず流山投降から処刑へ至ったかの全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。
近藤勇の最後をめぐっては、創作物やネット上の言説によって複数の誤解が定着しています。史料に基づき、それらの真実を正しく整理します。
誤解1:近藤勇は本当に坂本龍馬を暗殺したのか?
結論:完全に無実(冤罪)です。
近江屋事件の実行犯は、京都見廻組の佐々木只三郎、今井信郎、渡辺篤らであることが、明治以降の元見廻組隊士らの証言や公的調査で確定しています。しかし処刑当時の板橋総督府では十分な裏付け捜査が行われず、土佐藩側の思い込みと報復感情によって近藤の罪状に組み込まれてしまいました。
誤解2:勝海舟は見殺しにしたのか?
結論:助命嘆願に動いたものの、政治的限界がありました。
江戸無血開城を取りまとめた勝海舟は、近藤の助命に向けて新政府軍側に働きかけを行っていました。しかし、当時の江戸総督府内では薩長の強硬派や土佐藩の反発が凄まじく、徳川家存続の交渉を最優先せざるを得なかった勝には、近藤ひとりを救い出す政治的カードが残されていませんでした。