【検証2026】あさま山荘事件から54年――極寒の軽井沢で繰り広げられた「日本初のライブ中継テロ」の真実と警察危機管理の原点
【検証2026】あさま山荘事件から54年――極寒の軽井沢で繰り広げられた「日本初のライブ中継テロ」の真実と警察危機管理の原点に関する専門家の意見を丁寧に解説いたします。
事件の発端は、印旛沼事件や山岳アジトでの「総括」と呼ばれる身内殺戮から逃走していた連合赤軍幹部の坂口弘、坂東國男ら5名が、追尾する警察の包囲網を突破して軽井沢へと雪中逃亡したことにある。彼らはライフルや手製爆弾で重武装しており、奪取したあさま山荘に難を逃れる形で侵入。山荘の管理人を務めていた牟田泰子さん(当時31歳)を拘束し、強固な防衛陣地を築き上げた。
当時の軽井沢は例年以上の厳冬に見舞われていた。警察側は長野県警を中心に、警視庁機動隊などを投入して大規模な包囲網を敷いたものの、過激派が窓から放つ狙撃弾と手榴弾の前に接近を拒まれた。マイナス15度にも達する夜間の極寒は隊員たちの体力を削り、無線機のバッテリーを凍結させ、水すら固まる過酷な現場で、警察側は人質の安全確保という最優先課題と、犯人全員の生捕りという極めて難度の高い二重の制約を背負わされた。